【図柄など解説】
フランスの国民的英雄、絶大な人気を誇る聖人 ジャンヌダルクと彼女の紋章(盾に王冠、剣、両脇にフルールドリス)甲冑姿のジャンヌの脇にはアトリビュートの兜、
更にロレーヌ十字のこのバッジの下のリボンにあるCRAONNE(クラオンヌ)
CRAONNEは現在のオー=ド=フランス地域圏にあるコミューンですが、第一次世界大戦時ソアソンとランス(ジャンヌダルクに馴染みの深い土地*シャルル7世聖別戴冠式が行われたノートルダム大聖堂が所在する
)の間においてドイツ軍とフランス軍が戦い(ドイツ軍の勝利)、その際に古い遺跡や街並みは破壊されてしまった地域です。
1916年のVerdun(ヴェルダンの戦いで有名な土地)(*
http://labarum.ocnk.net/product/2521)、ソンムの戦い、その次にこのシュマン・デ・ダムの戦い、
で重要な場所がこのCRAONNEです。
ドイツの戦略によって大敗したフランス軍、その失敗を嘆き憤り抗議した兵士によって作られた同名の歌(シャンソン)が有名です。
またクラオンヌは皇帝ナポレオン時代にもフランス軍とプロイセン軍が戦った土地でもあります。
ロレーヌ地方はドイツとフランスで長い間奪い合った地域で、ロレーヌ十字自体がフランス人にとっての愛国心を象徴しています。フランス軍のバッジに多くロレーヌ十字が使われているのはその為です。
*全く同じデザインで確認できるのは他にソンム(前述)ルーアン、文字を違えただけのデザインは同じブローチはいくつか確認しています。
この地域を訪れた記念品として作られたものと思われます。
*【聖ジャンヌダルク】フランス東部に農夫の娘として生まれた。神の啓示を受けたとしてフランス軍に従軍し、イングランドとの百年戦争で重要な戦いに参戦して勝利を収め後のフランス王シャルル7世の戴冠に貢献した。
その後ジャンヌはブルゴーニュ公国軍の捕虜となり、身代金と引き換えにイングランドへ引き渡された。
イングランドと通じていたボーヴェ司教ピエール・コーションによって「不服従と異端」の疑いで異端審問にかけられ、最終的に異端の判決を受けたジャンヌは、19歳で火刑に処せられてその生涯を閉じた。
*【ジャンヌダルクの列聖】ジャンヌダルクは16世紀にフランスのカトリック同盟の象徴となっていった。1849年にオルレアン大司教に任命されたフェリックス・デュパンルーがジャンヌを大いに賞賛する演説を行った後フランスのみならず
イングランドの耳目も集めた。デュパンルーのジャンヌに対する高い評価と功績の紹介は、1909年4月18日にローマ教皇ピウス10世からのジャンヌの列福となって結実した。
さらに1920年5月6日には、ローマ教皇ベネディクトゥス15世がジャンヌを列聖した。そうしてジャンヌダルクはローマ・カトリック教会におけるもっとも有名な聖人の一人となった。
ブローチとしての機能は、針のバネ性は損なわれておりますが、ブローチとして使用することには問題はありません。
【素材】
合金 シルバーメッキ 一部銅パーツ
【重量】
4.3g
【サイズ】
37;26mm
【備考】
*アンティークですので、経年変化による変色、汚れ、染み、傷、歪み、破損等あることがございます。画像をよくご覧頂き、ご判断、ご納得の上でのご購入をお願い致します。